· 

【SR Forever】(その7)

(前回からの続き)

 

そして朗報は、自分が思っていたよりかなり早く届きました。

 

 

前期試験が終わり、徒労感だけが色濃く残った7月中旬のある晩、

辻堂駅北口にある銭湯からの帰りに、いつものように生協の駐車場に赤い

原付を停め、電話ボックスのドアを開けました。

長い時間、誰も使っていなかったのか、ガラス箱の中は夏の熱気が籠り、

それを掃うように大きくドアを開けて充分換気をしてから中に入りました。

 

いつものように電話の向こうに母親が出て、自分の体調を気遣う言葉を聞いてから

父親と変わるように頼みました。

 

「おぅ、正幸か。試験は終わったのか」

 

晩酌の途中だったのか、何かを口に入れたままで父親が聞いてきました。

 

「うん、昨日で終わったよ。結果は、まぁまぁかな」

 

そんな曖昧な答えを返している間にも、いつもと同じペースで投入した10円玉が

次々に落ちて行きました。

 

「で、どう?SRは見つかりそう??」

 

飲み込まれる10円玉を惜しむように、早々に核心を父親に問いました。

 

「おぉ、SRな。お前は運がいいな。良いのが見つかりそうだぞ」

 

「えっ、本当!?」

 

あまり期待をしていなかっただけに、父親がこんなに早く良い返事を

聞かせてくれるとは思っていませんでした。

 

「それで、そのSRは、どんな感じなの??」

 

高なる鼓動を抑えつつ、受話器に食い付きました。

 

「あぁ、自分もまだモノは見てないんだが、村松さん(父親の馴染みのバイク屋)の

お客で、近々SRから別のバイクに乗り換える人がいるそうだ」

 

「やった!で、そのSRは、何色?」

 

『まぁ、待て』と言いたげに父親は、口に入れた物を酒で飲み下しながら続けました。

 

「色は黒だそうだ。走行距離は確か4800kmぐらいだと言ってたな。

 ただ車検が来年1月までしかないみたいだが」

 

「良かった!黒のSRなんだ?走行距離も少ないね。車検は仕方なけど黒ならいいよ。

 それでそのSRはスポークホイールなの?」

 

「いや、お前が欲しいって言ってたキャストホイールの方だとさ」

 

それを聞いた途端、思わず電話ボックスの中で飛び上がり、ガッツポーズをしました。

 

「父さん、本当??やったー!ありがとう!!」

 

自分でも「大丈夫か??」と思うほどだらしない笑みが溢れましたが、もう一つ

聞いておかなきゃいけない肝心なことがありました。

 

「それでそのSRは、値段はいくらだって?」

 

自分の条件に合うSRが見つかったことで舞い上がる気持ちでしたが、

問題は自分が考えてる予算で買えるか?ということです。

 

「程度がかなり良くて、そのお客も常連さんだから、村松さんがかなりイイ値段で

 下取る約束をしたらしくてな。売値は24万だそうだ」

 

ある程度は覚悟していましたが、自分的にはかなり予算オーバーな金額でした。

しかし、キャストホイールのSRは2年前(1979年)発売されたばかりで

まだ中古の数は少なく、当時の新車価格もスポークホイールモデルより3万円も

高い34万円に設定されていたのでした。

 

「24万かぁ…」

 

ひと月3万円の仕送りとバイトを掛け持ちして稼ぐ貧乏大学生には、

かなり大きな買い物です。

しかし、このチャンスを逃したら、同じような条件のSRがすぐに

見つかる保証はありません。

少し考えている間に受話器からもうすぐ通話終了になる“ビィィィーーッ、”という

サインが聞こえました。

ハッ!と我に返り、慌てて右手に握り締めていた10円玉を数枚スロットに

次ぎ込みました。

 

「どうする?買うか??返事は今すぐでなくとも良いんだぞ。

 まだ前の持ち主が乗ってるから、下取りに入って来てからでも…」

 

探したSRの値段を告げた瞬間、沈黙した息子に即断をさせるつもりのない

父親が諭すように伝えました。

 

「それ欲しいよ。でもそんな金は、今ないから…」

 

声のトーンが自然に落ち、その間にも時折“プツッ、プツッ、”とまるで

カウントダウンするような音が受話器から聞こえます。

 

「父さん、お願があります」

 

意を決し、受話器を握る手に力を込めました。

 

「父さんがそのSRを見て、『これならイイ』と思ったら買って下さい。

 それともう一つ頼みが…」

 

次に電話口の息子が何を言おうとしているか?を察した父親が、

自分の頼み事を聞く前に答えました。

 

「判った。金はとりあえず俺が出しておくから。

 その代わり、ちゃんとバイトして返すんだぞ」

 

その一言で電話ボックスの中に、光が溢れるような感覚を受けました。

 

「ありがとうございます。それじゃ、よろしくお願します」

 

妙に改まって、受話器を握ったまま見えない父親に頭を下げました。

 

“ゴンッ、!”

 

その拍子にボックスのガラスに頭を打ち、鈍い音がボックスに響きました。

 

「ウッ、痛ててて…」

 

「正幸、どうした?」

 

「あ、何でもないよ…また電話します。SRの件、よろしくお願します」

 

ぶつけた頭を押さえながら、受話器をハンガーに戻すと、残った10円が

返却口に1枚だけ落ちてきました。

それをジーンズの右ポケットに押し込み、ボックスのドアを開けました。

すると、蒸し暑いはずの外の方が涼しく感じ、なぜかその時だけ1号線は

車の往来が途切れて、一瞬の静寂が訪れました。

 

「やった!自分のSRが手に入る。しかも黒のキャストモデルだ!

 やっぱりバイクのことは、父親に頼んでよかった」

 

話が終わるのを大人しく待っていた、赤い原付にキーを差し込み、

ぼやっと灯るニュートラルランプを見てキックを踏み降ろしました。

 

“パラランッ、パンパンパン…”

 

気のせいか、さっきより元気に聞こえる小さな相棒の排気音を耳に、

ギアを踏み込み、アクセルを大きく開けて自宅へ走り出しました。

 

(その8へ続く)

文中に出てくる、『スズキの赤い原付』こと『スズキ・ミニタン』は、SRが手元に来るまでの間、自分の小さな相棒で、足代わりに活躍してくれました。
文中に出てくる、『スズキの赤い原付』こと『スズキ・ミニタン』は、SRが手元に来るまでの間、自分の小さな相棒で、足代わりに活躍してくれました。